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のらりくらり生きていた親友が、
東京から移住してまで選んだ仕事

「俺、東京離れようと思うんだよね」あいつからそんなふうに聞かされたときの感情に、あれから2年経った今でも、僕は名前を付けられていない。

職業がアイデンティティになっている
すべての人たちへ

友人の鈴木は、当時29歳だった。青春の終わりは、もうすぐそこまで来ていた。流れる雲は、そろそろきれぎれになり、空の全貌を見せつけようとしていた。その先には、きっと何もない。怖くて思わず鈴木は目をつぶった――。

新米ママとビジネスウーマンの顔
友人が時短勤務で働く理由

友里奈さん(仮名)との出会いは10年以上前。都内の薄暗いライブハウスで、とあるバンドの演奏に激しく体を揺らし、音楽を楽しむ姿を見た時だった。小柄で控えめな顔立ちにバッチリとしたつけまつげが似合う美人。

働く父の背中が教えてくれたのは、
向き合うことの大切さだった

朝、顔を洗ってふと鏡を見ると、懐かしくなるときがある。「また少し、似てきたのかもしれないな」と独り言を呟きながら、タオルで水滴を拭った。

父がぽっくりと死に、
母は「マダム・バタフライ」として
第二の人生を歩み始めた

「パパ、もう長くないって」その日、私が中学校から帰ると、西日さす食卓の中心で母が静かにそう告げた。

「とりあえず就職」に流されず、
身の丈に合った暮らしを選んだ親友

中学校でとなりのクラスだったミユは、いつも学級委員長だった。成績優秀で笑顔の優しい彼女は、みんなに慕われながらも決まった友人とつるまずに、たいてい一人でいるか、転校生やいじめられっ子と一緒に過ごしていた。

つましく暮らす友人は、
“好き”を仕事にしなかった

水筒ってダサい。中学生の頃、急にそんなことを思い始め、母が用意した水筒を持って行かず、登校中に自動販売機で飲み物を買っていた。もちろん、麦茶はダサいから、紅茶を選んだ。

寄り道をしながら、
本当にやりたいことを
見つけた恋人

「どうしてパティシエになろうと思ったの?」私が尋ねると、同い年の彼は照れたように少し口ごもり、「高校生のとき、彼女にホワイトデーのお返しを手づくりしたのが楽しかったんよね」と答えた。

40代・未経験で
IT企業に飛び込んだ
ママ友の挑戦

ゆみさんとは、高層ビルにかこまれた都心に隠れる秘境みたいな、小さな公園で出会った。お互いの子どもがまだ幼く、おぼつかない足取りですべり台の階段をゆっくりと上ってはすべって下降。それを飽きもせず何度も繰り返すのに付き合っていたときからの、いわゆるママ友だ。

新聞配達から開かれた、
母の第二の人生

まだ小学生だったころ、家に帰ると母がいつも迎えてくれていた。私の地元は北海道の田舎町で、近所にはスーパーマーケットが1~2軒と、ファストフードのチェーン店がぽつぽつあるくらい。当時、友達と呼べるような子があまりいなかった私にとって、家に帰ればいつも母がいてくれるのは安心そのものだった。

夢だった介護士を辞めて、
事務員になった姉

「どっちがきれいに塗れるか勝負しよう!」小さい頃の私は、そうやっていつも姉に“ぬりえ”の勝負を申し込んでいた。ふぅ、今日もこの時間がきたか……と、姉は重い腰を上げて位置につき、色鉛筆を握り締めた。