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私の夫は、
ちゃんと「わがまま」に働き、
生きている。

5月1日に結婚をした。出会ってまだ、1年も満たない人と。 出会ってすぐに恋人になり、恋人になってすぐに同棲をはじめ、同棲をはじめてすぐに婚約をした。我ながら、スピード婚だった、と思う。

わたしの祖母は、
働く魔女でした

私が小学3年生の時に亡くなった、母方の祖母。彼女はユーモア溢れる女性だった。自らを魔女と称し、孫である私にしょっちゅうイタズラを仕掛けてきたのだ。それはそれは、数えきれないほど騙された。

家族を守るために妥協した父が
「人生で後悔したことがない」と
言い切る理由

私の父は、よく自分語りをする人だ。 「バンドを始めた高校生の頃、腕に自分でタトゥーを入れた」 「親が大学行けってうるさいから入学したけど、興味なかったから1カ月で退学した」 「社長と喧嘩して腹が立ったから会社を辞めてやった」

女優と焼肉店アルバイトを
兼業する友人の
「プライドに縛られない」
働き方

「私、人から『焦ってる』と思われたくなかったんだ。でもね、本当はすごく焦っていたの」喫茶店で、早紀さんはお気に入りの指輪をくるりと回しながら、あっさりと告白してみせる。その率直さが私には眩しく見えた。

今いる場所を
居心地よく変えていく、
親友が教えてくれた
もうひとつの働き方

ふみちゃんと出会ったのは、もうずいぶん昔、高校3年生の頃だ。クラスが一緒になって仲良くなった私たちは、別々の大学に進んだ後も、月に一度は顔を合わせておしゃべりをし、一緒に旅行や合コンに行き、新しい彼氏ができれば紹介し合った。

「俺には何もない」と
言った夫が
ニートを卒業するまでの話

夫と初めて会ったとき、私は会社員のかたわらスナックのカウンターに立ち、雇われママをしていた。薄暗い店内に入ってきた夫は猫背で背が高く、若い男の子、という印象だった。実際、夫は私より13歳も若かった。

ずっと他人の評価の海を
泳ぎ続けてきたIT命の彼女が、
ちいさな花屋で見つけた
「自分の人生を生きること」の大切さ

「ずっとママが大嫌いでした」 ふわりと裾が広がった真っ白なドレスに、肩まで流れる緩くウェーブした髪。日本人離れした高い鼻に、薄茶色のアーモンド型の目。誰もが「美しい人」と認める彼女は、今日この場所で一番幸せなはずだった。その彼女が左右均等に整った顔を歪め、自分の前に立つ、ピンクのスーツを身に纏った女性に切れ味の良い刃物のような言葉を投げつけた。

タクシーの窓越しに見る
「何でもあるけど、
何にもない東京」から、
人生の大事なことを教わった

面接が終わった後の東京の街って、どうしてあんなにグレーなんだろう。オフィスビルに囲まれているから? どの道もコンクリートでできているから? 就職活動も終盤なのに、真っ黒なリクルートスーツとパンプスはいまだに好きになれない。7社目の面接を終えて、オフィスの出口へと向かう。自動ドアが開いたら、その先はどこまでも灰色で途方に暮れた。面接官は私をどう思ったかな......。不安だ。

記憶よりもずっと
小さくなっていた母の背中

先日、実家に立ち寄った際、庭に花が咲いていることに気が付いた。庭いじりは父の仕事だったが、27年前に父が亡くなってからは、母が引き継ぐように庭の手入れをしている。

のらりくらり生きていた
親友が、
東京から移住してまで
選んだ仕事

「俺、東京離れようと思うんだよね」あいつからそんなふうに聞かされたときの感情に、あれから2年経った今でも、僕は名前を付けられていない。

職業がアイデンティティに
なっている
すべての人たちへ

友人の鈴木は、当時29歳だった。青春の終わりは、もうすぐそこまで来ていた。流れる雲は、そろそろきれぎれになり、空の全貌を見せつけようとしていた。その先には、きっと何もない。怖くて思わず鈴木は目をつぶった――。

新米ママと
ビジネスウーマンの顔
友人が時短勤務で働く理由

友里奈さん(仮名)との出会いは10年以上前。都内の薄暗いライブハウスで、とあるバンドの演奏に激しく体を揺らし、音楽を楽しむ姿を見た時だった。小柄で控えめな顔立ちにバッチリとしたつけまつげが似合う美人。

働く父の背中が
教えてくれたのは、
向き合うことの大切さだった

朝、顔を洗ってふと鏡を見ると、懐かしくなるときがある。「また少し、似てきたのかもしれないな」と独り言を呟きながら、タオルで水滴を拭った。

父がぽっくりと死に、
母は「マダム・バタフライ」
として
第二の人生を歩み始めた

「パパ、もう長くないって」その日、私が中学校から帰ると、西日さす食卓の中心で母が静かにそう告げた。

「とりあえず就職」
に流されず、
身の丈に合った
暮らしを選んだ親友

中学校でとなりのクラスだったミユは、いつも学級委員長だった。成績優秀で笑顔の優しい彼女は、みんなに慕われながらも決まった友人とつるまずに、たいてい一人でいるか、転校生やいじめられっ子と一緒に過ごしていた。

つましく暮らす友人は、
"好き"を仕事にしなかった

水筒ってダサい。中学生の頃、急にそんなことを思い始め、母が用意した水筒を持って行かず、登校中に自動販売機で飲み物を買っていた。もちろん、麦茶はダサいから、紅茶を選んだ。

寄り道をしながら、
本当にやりたいことを
見つけた恋人

「どうしてパティシエになろうと思ったの?」私が尋ねると、同い年の彼は照れたように少し口ごもり、「高校生のとき、彼女にホワイトデーのお返しを手づくりしたのが楽しかったんよね」と答えた。

40代・未経験で
IT企業に飛び込んだ
ママ友の挑戦

ゆみさんとは、高層ビルにかこまれた都心に隠れる秘境みたいな、小さな公園で出会った。お互いの子どもがまだ幼く、おぼつかない足取りですべり台の階段をゆっくりと上ってはすべって下降。それを飽きもせず何度も繰り返すのに付き合っていたときからの、いわゆるママ友だ。

新聞配達から開かれた、
母の第二の人生

まだ小学生だったころ、家に帰ると母がいつも迎えてくれていた。私の地元は北海道の田舎町で、近所にはスーパーマーケットが1~2軒と、ファストフードのチェーン店がぽつぽつあるくらい。当時、友達と呼べるような子があまりいなかった私にとって、家に帰ればいつも母がいてくれるのは安心そのものだった。

夢だった介護士を辞めて、
事務員になった姉

「どっちがきれいに塗れるか勝負しよう!」小さい頃の私は、そうやっていつも姉に"ぬりえ"の勝負を申し込んでいた。ふぅ、今日もこの時間がきたか......と、姉は重い腰を上げて位置につき、色鉛筆を握り締めた。