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夢だった介護士を辞めて、
事務員になった姉

「どっちがきれいに塗れるか勝負しよう!」

小さい頃の私は、そうやっていつも姉に“ぬりえ”の勝負を申し込んでいた。ふぅ、今日もこの時間がきたか……と、姉は重い腰を上げて位置につき、色鉛筆を握り締めた。

私には8つ歳の離れた姉と2つ上の兄がいる。姉とは年齢差のおかげか姉妹げんかは少なく、振り返ると本当によく遊んでもらっていた。

幼稚園でぬりえを覚えた私は、暇そうにテレビを観ている姉を捕まえては、先のように遊び相手になってもらっていた。そして、完成した2人のぬりえを祖母に品評してもらうのだ。当然ながら姉の方がきれいに塗れるわけだが、祖母は気を利かして「2人ともきれいに塗れたね。でも、あーちゃんの方が少しだけ上手かな」とお決まりのように私の肩を持つ。幼い私はそれを鵜呑みにして、芽生えたばかりの小さな自尊心を満たすのだった。

こんな遊び、姉にはたいそうつまらないはずだが、なぜかいつも笑顔で付き合ってくれた。姉はそういう人なのだ。

私が小学校を卒業して中学校へ進学する頃、姉は専門学校を卒業して介護士の道に進んだ。祖父母が同居する我が家は、お年寄りのために働く頼もしい長女を誇りに思っていた。

学生時代から、姉は祖父母とのコミュニケーションを欠かさなかった。帰宅すると「おじいちゃん、今日何してたの?」と大きな声でゆっくりと話しかける。自宅でテレビを見て、夕方にちょっとお散歩をした。そんなありふれた日常の話でも、ほんの少しの面白い要素を取り上げて話題を膨らましていた。

無口な祖父も、姉が話しかけると口が止まらなくなる。どうやってお年寄りと接するべきか悩んでいた年頃の私は、そんな姉の姿を見て単純に尊敬していた。この姉が介護士になることで、きっと多くの人が救われるのだろう。そう思った。

介護士1年目の春。夢を叶えた姉の顔は、明るく自信に満ち溢れていた。仕事について多く語るわけではないが、やりがいを感じていること、日々新しい発見があることを教えてくれた。

職場の介護施設まで、姉は車で通勤していた。「いってきます」の後に聞こえる車のエンジン音は、これまで同じ「学生」という言葉で括られていた3兄弟から抜け出し、彼女だけ「大人」になったことを知らせる汽笛のようだった。

休みの日は、たまに2人でドライブに行った。カラオケ、古着屋、ショッピングモール……さまざまな場所へ連れ出してくれて、姉はことあるごとに少ない給料から、私の分の代金もさらりと支払ってくれた。ドライブ中の車内には、テレビではかからない気性の荒い音楽が流れる。まさか、あの優しくて穏やかな姉がこんな音楽を聴いているなんて、きっと両親は知らないだろう。「大人」は誰にも干渉されることなく、好きなものを自由に手に入れられるのだ。この車に乗っている間だけ、私はセーラー服を着ていたことを忘れて、少し背伸びした世界を感じることができた。

それから月日が経ち、介護士4年目の冬。姉は仕事から帰宅すると、自室に行かず居間のこたつで数時間眠るのが日課になっていた。

彼女の職場は、重度の介護認定を受けた人を対象とした施設で、なかなか従業員が定着していないようだった。25歳の姉はすでにベテランとして責任ある業務を任されつつ、さらに若者として力仕事もしなければいけない。そして、週に何度も夜勤と昼勤を繰り返していた。多くの人に囲まれながら働いているが、内心は孤独だったのかもしれない。ひとりで眠るのは寂しいから家族がいる居間のこたつで......そんな思いだったのだろうか。高校1年生の私は何も知らず、寝落ちして顔に携帯電話を落とす姉を見て、クスクスと笑っていただけだった。

介護士5年目の夏。姉は大手メーカーの事務職に転職し、商品の発注や管理の仕事に就いた。やりがいを感じていた介護士から、突然の転職だった。新しい職場は定時が17時で、残業はほぼない。有給もきっちり取れる会社だったようだ。終業後は友達と食事をしたり、好きなバンドのライブに行ったり。俗に言う「アフター5」を謳歌していた。

朝の通勤は私の通学と同じ電車に乗ることになり、毎朝一緒に家を出た。駅までの10分間で、姉はよく職場の話を面白おかしくしてくれた。一緒に働く仲間との出来事、昨日した小さなミス……全てのシチュエーションにピンとくるわけではないが、とある会社の1コマを想像して笑った。ぼんやり進路選択という文字が見えてきた高2の夏、働くって楽しそうと思えたのは姉のおかげだ。

私の大学進学をきっかけに、一緒に通学をする習慣はなくなった。学校やアルバイトで忙しい毎日を送っているうちに、気がつけば姉と顔を合わせる機会はずいぶんと減っていた。それからしばらくして、姉は実家を出て一人暮らしを始めた。

その後、姉がどんな暮らしをしていたのかはあまり知らない。母から聞く話によると、これまでの仕事に加えて、休日は副業もしていたという。どうやら副業することを見据えて、最初からそのような勤務形態を選んでいたようだ。長い目で見て仕事を選んでいたとは、どこまでもできる姉である。

私は社会人になり、東京で一人暮らしを始めた。ある年のお盆休みに実家へ帰ったら、久々に姉に会った。東京は家賃が高い、野菜が高い……そんな何気ない会話にも真剣に耳を傾けてくれて、さらには料理が苦手な私の助けになるからと、小さな片手鍋をプレゼントしてくれた。その鍋はいまキッチンの主役になっている。

「みんなに話したいことがあるんだけど……」

姉の発したいつもとは違うトーンの呼びかけに、家族全員がなにかを感づいたようだった。その予感どおり、家族に結婚を告げる姉。祝福の声が上がるなかで、姉は今後の人生プランについて話を続けた。

そうして、姉は8年間勤めていたメーカーを離れ、2度目の転職をした。結婚を機に、関東の田舎町に夫と暮らす新居を構え、自宅に近い会社で再び事務職に就いたのだ。多少は残業するものの、帰りにスーパーで買い物を済ませ、夫が帰宅する前にご飯を作る。時間に余裕がある時は、近所の銭湯でほっこりと疲れを癒していたようだ。決して派手ではないが、穏やかで満たされる暮らし。東京で一人もがきながら生きるいまの私にとって、時に羨ましく思う生活だった。

ずっと憧れていた介護士になり、次は自分の時間を優先したメーカーの事務職に。そして、新しい家族の時間を大切にできる、自宅に近い職場へと転身。生活の変化によって柔軟に仕事を変える彼女の姿は「やりたいことしかやりたくない」と自分本位に生きてきた私には衝撃的だった。年を重ねれば働き方に求めることはもちろん変わる。だからこそ姉の転職歴は、どんな時でも自分に合った仕事は見つかるんだよ、と教えてくれているようだった。

8年先を歩く彼女はいまも3つ目の職場で働いている。私は8年後、彼女のような柔軟さを身に付けているのだろうか。それとも自分なりにもがきながら生きているのだろうか。本当は姉のように器用に生きてみたい。けれどもいまの私には、小さなことで一喜一憂しながらも、大好きな東京でがむしゃらに働いている方が似合うのかもしれない。

そんなことを考えながら、ビル風に背中を押され職場から帰路についた。