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記憶よりもずっと
小さくなっていた母の背中

先日、実家に立ち寄った際、庭に花が咲いていることに気が付いた。庭いじりは父の仕事だったが、27年前に父が亡くなってからは、母が引き継ぐように庭の手入れをしている。

数年前の夏の日、庭の隅に座って花の世話をしている母の背中が、記憶よりもずっと小さくて驚いてしまった。

「こんな小さな身体で頑張ってきたのか」と。

父が亡くなったとき、僕と弟はまだ学生だった。「お母さんが働くから」という母の言葉は、僕らの「これからどうなるのだろう」という不安を解消するには、説得力に欠けていて、頼りないものに聞こえてしまった。なぜなら、僕の記憶のかぎりにおいて、小遣い稼ぎでやっていたごく短期間のパートを除くと、母が職に就いていた記憶はなかったからだ。

結婚前、電機メーカーの経理部で働いていた母は、父と結婚して以来、20数年間ほとんど働いた経験のない「ザ・専業主婦」であった。そんな母がこれからどういう仕事をするというのか。きっとどこかの会社で事務でもやるのだろうな、とぼんやりと思っていた矢先に、母が何の前触れもなく「葬儀社で働くことにしたからね!」と宣言し、葬儀社でパートとして働きはじめたときは、それこそ青天の霹靂だった。

就職先が葬儀社というだけでも驚きなのに、いくらか勝手がわかっている事務職ではなく、お通夜や告別式の運営に関わる「葬祭係」という職種を選んだことが意外だった。それまでの日常生活のなかで、母が葬儀に興味を持っているような素振りはなかったし、父の葬儀を終えてからまもなくの決断であることにも僕は驚かされた。

「家族を亡くした人たちは、普通、死を喚起するようなものから距離を置くものではないか? 母さん」と。

この決断には、彼女なりの目論見があった。長年「ザ・専業主婦」を続けてきた母には、資格や経験といった武器がなかった。正社員で雇用されるのは難しい一方で、家族3人分の生活費を稼がなくてはいけない。現在、どうなっているかは知らないけれど、当時、葬儀社のパートは資格も経験も必要なかった。そしてパート勤務で家族を養うには、長い時間働ける仕事を選ぶ必要があった。それらの条件が揃うのが、通夜の準備から告別式が終わったあとの片づけまで、一日中タスクがひっきりなしにある葬儀社の仕事であった。

母は「しんどいけれど、お通夜や告別式でお客さんの対応に追われていると、余計なことを考える余裕もなくて、気分転換になる」と明るく話していたけれど、体力的には相当辛いはずだ。コタツに入りながら気が付くとイビキをかいて寝落ちしていることはよくあったし、入浴しているはずの母の気配が風呂場から消えてしまい「母さん! 起きている? 寝たら溺れるよ!」と声をかけたことが何回もあった。

当時の母は40代の終わり。現在の僕とほぼ一緒だ。今、僕は加齢による体力の衰えを実感しているので、当時の母のしんどさが身に染みてわかる。もし、今の僕が、当時の母のように葬儀社で朝から晩まで立ち仕事をやっていたら、同じように風呂で寝落ちしていただろう。

何回か転職を勧めたこともある。すると母は、会社にはお世話になっているからそれはできないという。「今の葬儀社にも事務職のパートがあるんじゃないの」と、異動を勧めてみても、「事務職のパートは夕方に終わってしまって物足りない」とやんわりと却下されてしまった。何も言い返せなかった。言葉には出さないけれど、給料を下げずに家族を養っていくためだと僕にはわかった。母の強さと大きさを感じる一方で、自分の無力さを思い知らされたのを、つい昨日のことのように覚えている。

僕が社会人になり、母ひとりで生計を立てなくてよくなっても、彼女は葬儀社で働くのを辞めなかった。パートとして、告別式の会場セッティングやお通夜の飲食物の手配をしていた母は、知らないうちに葬祭ディレクターの資格を取得して、会社で葬祭を仕切る役を任されるようになっていた。そのうち正社員となり、定年を迎え、退職手当をもらうまで働き続けた。本当に立派だと思う。

同時に不可解でもあった。「資格も経験も必要ない」「長い時間働けるから」といって選んだ好きでもない仕事を、なぜ母はそこまで続けることができたのか。それが不思議でならなかった。息子としてではなく、一人の社会人としてのクエスチョンだ。確か、母が正社員になったくらいの頃に訊ねたことがある。

「どうして母さんはそこまで頑張れるの? お金のために働く必要はもうなくなっただろ?」

そのときの、母の答えを、僕は、生涯忘れないだろう。

「最初は生活を支えるために始めたけれど、仕事を続けていくうちに、葬祭に来られる人たちに対応していく葬祭業の大切さがわかったから。お葬式を滞りなく終わらせることに、充実感を覚えたから」

「お金のためだけでも続けられたかい?」と質問すると、当たり前じゃない、と母は笑った。笑ったのはきっと本音を隠すためだろう。母はいつも本音を隠すときは笑う。父が亡くなったときも「家をぶっ壊してラブホテルでもつくろうか」と冗談を言い、笑った人である。

就職してからずっと、仕事とは、働くとは、「お金のため」だと考えていた。今でもそれは真理のひとつだと思っている。だが、あの母の言葉から、それだけではないとも知った。お金以外の何か。それは、仕事を通じて得られる充実感であったり、己の成長であったり、人間関係であったり、人によって違うのだろう。働くなかで見つけたやりがいの芽を、少しずつ育んでいくことも、仕事を続けていく理由になりうるのだ。

今でも、ときどき、母が葬儀社で働き始めた頃を思い出す。母は働き続けることで、家族を支えてくれた。そして働く理由を教えてくれた。年老いて、あの頃よりもずっと小さくなってしまった背中を見るたびに、僕は、母みたいな人間になりたいと思うのだ。