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女優と焼肉店アルバイトを
兼業する友人の
「プライドに縛られない」
働き方

「私、人から『焦ってる』と思われたくなかったんだ。でもね、本当はすごく焦っていたの」

喫茶店で、早紀さんはお気に入りの指輪をくるりと回しながら、あっさりと告白してみせる。その率直さが私には眩しく見えた。

すでに女優として、映画やCMなどに出演している早紀さん。彼女は女優業のかたわら、焼肉店のアルバイトを続けている。オーディションで特技を尋ねられた際には、肉を美味しく焼けることだと話し、Twitterでもお店の情報を投稿している。だが、そのようにオープンに語れるようになったのは、ごく最近のことらしい。

彼女が焼肉店でアルバイトを始めたのは6年前。生活のためにいろんなアルバイトを経験してきたが、現在勤める焼肉店は客層が良く、他のスタッフにも芸能活動と両立している人が多かったため、女優との兼業に理解があった。きれいで華やかな人たちに囲まれて働ける環境は、彼女にとって心地よかったという。

当初は、自分が「女優」であることをお客さんに隠して働いていたそうだ。アイドルやタレントなど、若い女性が多く働くその店では、芸能関係の話題が出ることも頻繁にあった。

早紀さんは「あなたも芸能関係の人なの?」と尋ねられるたび、「いえ、違います」と否定し続けていた。お客さんの中には、アルバイトと兼業していると知っただけで、「一人前ではない」と見なし、「女優"志望"なんですね」と悪気なく告げる人がいたからだ。

「そう言われると、余計に気持ちが乱されちゃうよね。だって、女優としての仕事で忙しければ、バイトしている時間は無いはずだし」と、彼女は肩をすくめて言った。

しかし、ひょんなきっかけで、その認識が変わったという。彼女が女優業でお世話になっているキャスティング会社の社員が来店し、「早紀ちゃん、ここで働いてたんだ!」と焼肉店で働いていることがばれてしまったのだ。

焦った早紀さん。だが、それは思わぬメリットをもたらした。彼らは、彼女を通してお店の予約を取るようになったのだ。

「ばれたことが、むしろ良い方向に働いたの。その人たちは予約を取りやすいし、私も予約を手伝うことでいい印象で覚えてもらえる。『女優』としてではないけど、彼らの中で、私の存在価値は上がるでしょ?」

「向こうからしたら、『女優としてのみ認識されたい』という私のプライドは関係ないんだよね。大事なのは、私という存在を印象づけて、仕事をもらえる可能性を少しでも高めること」

そう語る彼女は、清々しいほど達観している。

もちろん、焼肉店で働いている以上、「焼き手」として彼女を認識している人が多いのも事実。お客さんからその腕前を褒められて、「女優なのに肉焼くのがうまくなってどうするんだよ」とやさぐれた時期もあったそうだ。

それでも、「また次もあなたに焼いて欲しい」「あなたが焼くと美味しい」とお店の常連になってくれたり、彼女のためにお土産を用意してくれたり。そういったお客さんの存在はうれしかった。バイト先で、紛れもない個人の「早紀さん」として認識される自分を発見したのだ。

それは、彼女が本来望んでいた承認の形ではなかったけれど、「今の私は、女優よりも、焼き手として求められている。その現実も受け入れようと思ったんだよね」と彼女は語る。ひかえめに、けれど目にはまっすぐなまなざしを湛えて。

「私は女優だから、本当は女優として働く時間が一番長くないといけないよね。でも今は、役を演じている時間よりも、肉を焼いている時間の方が長い。私がバイトしている間にも、同世代の俳優たちは着々とキャリアを重ねている。差をつけられているんじゃないかと焦ってしまうの」

「今まで私、人から『焦ってる』と思われたくなかった。自分でも焦りを認めたくなくて、言語化しないようにしてきたの。だけど、本当はすごく周りを見て焦ってたんだよね。そういう自分を受け入れようと思った」

彼女はよどみなくそう切り出した。その潔さに私は胸を衝かれる。

女優の仕事は、常に他人の視線に晒される。「人からこう見られたい/見られたくない」。そんな小さなプライドや自意識すら、演出家に見透かされ、受け手のために差し出さなくてはならない。他人の評価や反応を気にしてしまいがちな私は、「自分の焦りを受け入れる」という彼女の言葉に強く惹かれた。

己の現状に「見えないふり」をするのは簡単だ。だが、人は強くなる過程のどこかで、「今の自分の弱さ」を認め、それを受け入れなくてはならない。

安定が困難な女優業とアルバイトの両立に、依然として「これでいいのか」という焦りや葛藤はあるという。女優業に気持ちを集中したい。でも現状、女優業だけでは食べていけないし、アルバイトを減らしたところで、その穴を埋めるほど、女優としての需要が自分にあるのか――。彼女は揺らいでいた。

「自分より売れている同世代の女優が、自腹で来店したときはショックだよ。高級店なのに」と彼女は苦笑いする。

私自身も今年2月まで書店のレジで働いていて、似た経験をしたことを思い起こした。お客さんが同世代の人気作家の本を手にレジへ来ると、「やっぱりこの人売れてるんだなあ」と否応なく実感させられた。

売れないまま棚に残され、やがて返本される運命にある本は、客に「選ばれなかった本」たち。もし手に取ってもらえたら、面白いと思ってもらえるかもしれないのに。本の面白さに賞味期限は無いはずなのに――。人の目に留まることなく、日々送り出される新刊の波に押し流されていく。いつしかその姿を自分に重ねるようになっていた。

「表現の世界って、努力がすべてじゃないでしょう。必ずしも演技がうまい人、経験豊富な人がオーディションに受かるとは限らない。そんな場面を何度も見ていると、選ばれる基準がわからなくなるの。でも正解がない中で、手探りでも『自分の表現はこれだ』というものを示したい。たとえ誰からも選ばれなくても、『自分はこれを選び取った』という確かな手応えが残るから」

「選ばれない」という過程の中でも、私たちは何かを生んでいるはず。ささやかな誇りを噛み締めながら、表現に挑む。その矜持は、誰になんと言われようと、奪われることはない。

棚に残された「選ばれなかった本」に、バイト書店員の私は何をしたか。本の感想をPOPに綴り、この本は手に取る価値がある、と静かに熱く訴えたのだ。

自分という存在に旗を立てよう。地味な本にPOPを添えるように。肉を網の上でかえすように。美味しそうな焼き目がよく見えるように。

彼女は、兼業の事実と、それに伴う焦りを「隠さない」。余計なプライドを捨てて、まずは自分自身に旗を立てようと決めたのだ。その旗の輝きに惹かれて、良いお客さんや仕事仲間が、彼女の周りに集まり始めている。

私も時折、自分の掲げている旗を確かめる。「詩人」という旗に恥じない仕事ができているだろうか、と日々胸に問いかける。

自分の旗がほころび始めている気がしたら、他人の仕事と比較して落ち込みそうになったら、何度でも思い出してみよう。お気に入りの本をPOPで目立たせたときの、ささやかな誇らしさを。

私たちはいつでも、自分自身の力で、自らに旗を立てることができる。いつか誰かに「選んでもらう」ため、否、「選ばせる」ために。