ふるさと名品オブ・ザ・イヤー

エントリーNo.01 奥順株式会社

2000年の歴史の
「挑戦」と「継承」
あたたかい「人」が生み出す、
唯一無二の絹織物

〈ふるさと名品〉

結城紬製品

〈問い合わせ先〉

奥順株式会社(つむぎの館・結城 澤屋)
〒307-0001 茨城県結城市大字結城12-2
TEL 0296-33-3111
http://www.yukitumugi.co.jp/
http://www.yukisawaya.com/

〈会社概要〉奥順株式会社
〒307-0001 茨城県結城市大字結城12-2
TEL 0296-33-3111
http://www.okujun.co.jp/
〈事業内容〉結城紬製品の企画、デザイン、販売流通

奥順株式会社 代表取締役専務

奥澤順之(おくざわよりゆき)さん(36)

創業明治40年の結城紬の老舗、奥順の長男として誕生。英国留学後、都内の陶磁器の会社に勤務。2011年奥順入社。その後南青山の呉服店での修業を経て、本格的に結城紬の世界へ。
専務として、製造、販売、デザインなど全般を取り仕切る傍ら、ユネスコ無形文化遺産にもなった、結城紬を世界に広め後世に残すための普及活動にも尽力。

「手仕事」が育んできた、
2000年の歴史

日本で唯一、ユネスコの無形文化遺産に登録された絹織物がある。その名も結城紬。
一見すると、絹織物特有の光沢感がなく、綿や麻のような印象を受けるこの織物、ひとたび持ってみるとその軽さに驚かされる。
「結城紬は、糸に空気が含まれているので、軽くて暖かいんです」と語るのは、創業明治40年の結城紬の老舗・奥順の専務、奥澤順之さん。同社は、結城紬の着物はもとより、ショールや服地の企画、製造、販売を行っている。

結城紬の歴史は、約2000年。関東平野を北から南へと流れる鬼怒川。別名「絹川」とも呼ばれ、古くから養蚕が盛んなこの地で生まれた絹織物が、現在の茨城県結城市や栃木県小山市を治めていた結城氏にちなんで結城紬と呼ばれるようになったという。

結城紬には、全て手仕事による「糸つむぎ、絣(かすり)くくり、地機織り(じばたおり)」という3つの特徴があり、日本の重要無形文化財に指定されている。

一般的な絹織物は、繭から糸を引き出し、数個の繭からほぐした糸を撚(よ)り合わせ「生糸」をつくり、それを織っていく。一方結城紬は、繭を煮て柔らかくして広げ「真綿」をつくり、そこから手作業で糸をつむぎ出す唯一の織物。人の手でほどよく紡がれた糸は、撚り合わされた生糸とは違い、糸に凹凸が生じ独特の風合いを生むほか、糸自体が空気を含むのだという。

絣くくりとは、染色の際、模様の部分だけを予め糸でくくり、染料が染み込まないようにする方法。設計図を基に職人が職人が一つひとつ手作業で、程よい強さで糸をくくっていくことで、色の濃淡を表現していくという。

地機織りとは、『鶴の恩返し』のモデルにもなったという原始的な機織り機で、経糸を人が腰で吊り、張力を調整しながらほどよい力で織ることで、糸に余計なストレスがかからず、やさしい風合いの織物に仕上がるという。
「工程は約40あって、全て熟練の職人の手作業で行われています。1反つくるのに最低半年、手の込んだものになると3年かかるものもあるんです」(奥澤さん)
それだけの歳月をかけ、丁寧に織られるからこそ、結城紬独特の風合いが生まれるのだ。

  • 本場結城紬の看板を掲げられるのは、全ての工程を手仕事で行い、厳しい検査をクリアする品質のものを扱っている会社だけだという

  • お湯でほぐした繭を開き、5〜6枚重ねて広げ真綿をつくる。真綿から手作業で紡ぐ糸は空気を含み、独特の風合いと暖かさを生むという

  • 経糸(たていと)を腰当てに結びつけ、腰の力で張り具合を調整する地機織り。糸に無理な緊張を強いないため、柔らかな風合いとなるという

人と人とのつながりが、
居心地のよい職場を生む

人材不足が社会問題となっている昨今。とりわけ繊維業界、伝統工芸の世界は、職人の高齢化や若い後継者の不足が深刻だ。そんな中、奥順では20代30代といった若い世代の女性の入社が増加傾向にあり定着率も高いという。結城紬に魅せられて地方からわざわざ移住してくる人も多いのだとか。
「ウチには魅力的な制度はない」と語る奥澤さんだが「雇用のミスマッチを防ぐため、ウチのことをわかってもらえるよう、丁寧に説明することを心がけ、求人広告にもくどいくらいに、会社のことを書いてあります」

採用活動においては、待遇や条件面ばかりがクローズアップされがちだ。しかし奥順のように経営陣が会社のことを包み隠さず伝えることで、信頼と安心感を生み「思っていたのと違った」というミスマッチを防げるのだ。

奥順が丁寧な説明を心がけているのは、採用時だけではない。近年同社の女性も働きながら子育てを行っている方が増え、時短勤務なども取り入れているという。
「子育て世代が増えてくるにつれ、時短や急な休みなどが多くなります。その分他の人の仕事の負担が増えることもある。そのことについて経営者として一人ひとりに『協力して支え合ってほしい』と説明をするようにしています」(奥澤さん)

デザイナーとして、着物や帯のデザインのみならず販促物のデザインも行っている東海林奈緒子さん(38)も、働くママさんの一人だ。都内アパレルメーカーでデザインをしていた際、奥順で働いていた友人の紹介で結城紬に出会ったという。「それまで成人式の着物しか知らなかったので、シックで洗練された結城紬に衝撃を受けました」
その後しばらくして、結婚のため隣町の栃木県小山市に移り住むタイミングで、友人の京都転勤によりデザイナーに空きが出るという奇跡の「縁」によって入社したという。
「今は周りの人たちに支えてもらいながら、子育てと仕事を両立でき、充実した日々を過ごしています」

東海林さん同様「皆に支えてもらっている」と語るのは、入社41年の大ベテラン鈴木克幸さん(62)。60歳で一度定年を迎えたものの、その人柄、経験、人脈が奥順にとって欠かせないとして再雇用され、現在も営業として第一線で活躍されている。
「鈴木さんはお客さんとのネットワークも広く、結びつきも強いので、これからも働き続けてほしいと思っています」と奥澤さんは語る。

「私はこの会社に救っていただいた。体力の続く限り恩返ししていきたいんです」と語る鈴木さん。鈴木さんはお父様が奥順で働いていたが、若くして亡くなったそう。その際「ウチで働かないか?」と声をかけてくれたのが先代の社長だったという。

皆口々に「あったかい会社」「居心地がいい」と奥順について語る。それはまるで結城紬をまとっているかのよう。結城紬は、身も心も温めてくれるのだ。

  • 「丁寧に説明することを心がけている」という専務の奥澤さん。取材当日も結城紬について丁寧に説明してくれた

  • デザインを担当する東海林さん。着物やショールのデザインだけでなく、奥順の製品カタログや販促グッズも東海林さんの手によるものだという

  • 「お客さんと実際に会って話をすることが大事」と語る鈴木さん。今でも週に1度は京都のお客さんのところへ足を運ぶという

「挑戦」と「継承」
新たな歴史をつむぐ

国内外からも高い評価を得ている結城紬だが、着物離れによってその生産量は最盛期の10分の1以下に落ち込んでいるという。そんな中、奥順では、結城紬の裾野を広げるため様々な取り組みを行っている。

その一つが、「YŪKI OKUJUN」ブランドによる、ショールなどの販売だ。結城紬の空気を含み「軽くて暖かい」という特徴に、現代的なデザインや色使いというエッセンスを組み合わせることで、日常的に使えるアイテムを世に送り出した。
また、結城紬を洋服の生地として活用する動きもあるのだと奥澤さんは語る。「海外の有名ブランドのファッションショーに結城紬を生地として提供しています」

奥順の取り組みは、新たな需要の掘り起こしだけではない。
結城紬のトップランナーとして後世に結城紬を伝える活動にも積極的だ。2006年には社屋の隣地に結城紬ミュージアムともいえる「つむぎの館」を開業した。ここでは、国の重要文化財である建物群に、結城紬に関する貴重な資料を多数収蔵した資料館「手緒里」、染めや織を体験できる「織場館」、200点以上の結城紬が展示される「陳列館」などが並んでいる。ここで、「見て・触れて・体験して」結城紬の魅力を存分に味わうことができる。
また、この場を使い演奏会やライブ、謎解きイベントなどを開催し、地域の人々の憩いの場ともなっているという。

「結城紬の価値をもっと幅広く伝えていきたい」と語る奥澤さん。
そこには、結城紬の新たな可能性へのチャレンジ精神と、これまで綿々と培われてきた伝統の継承者としての使命感がある。

結城紬の特徴でもある手仕事。すなわち「人」がその中心にある。
結城紬の新たな歴史は、結城紬のようなあたたかな心をもつ「人」によって紡がれ続けていくのだ。

  • 「YŪKI OKUJUN」のショール。糸が空気を含むため、暖かいにもかかわらずとても軽い

  • 色とりどりのショールのデザインは奥順のデザイナー陣の手によるもの。多くの女性を魅了する人気の商品となっている

  • つむぎの館全景。国の登録有形文化財でもある見世蔵に資料館や展示場、店舗などが並ぶ

  • 結城紬の着物とショールのコーディネート。奥順の着物の直営店「結城 澤屋」では、コンシェルジュがコーディネートの提案もしてくれるという

企画・取材・執筆・撮影・デザイン・コーディング/アトリエあふろ

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